ジンジャー・タウン

星谷周作創作坊

天(てん)ころがし

f:id:shusaku1:20200928004804j:plain

 

うららかな春の午後、木漏れ日の里にある

 

満開の桜の下に寝そべり、

 

舞い落ちる桜の花びらを見ながら、

 

小鳥たちのさえずりを聞いていた。

 

草の匂いに混じって、

 

桜の花の甘い香りも漂っている。

 

僕が春のさわやかな空気に酔っていると、

 

直径十センチくらいの半透明なシャボン玉

 

のよな球体が地面を這ってくるのが見えた。

 

ああ天ころがしが来たのだな、

 

と僕は思った。

 

天ころがしは

 

カブトムシを小さくしたような昆虫で、

 

マクと呼ばれる丸くて薄い

 

球体の空間の中で生活している。

 

そして、その球体を内側から転がして

 

地面を移動する。

 

オスとメスは、

 

互いに二つのマクをくっつけ合い、

 

向かい合って交尾するが、

 

決して互いの球体の中へ入ることはない。

 

子供はオスの球体の中で育てられ、

 

ある時期になるとオスは子供に食べられ、

 

子はその球体を譲り受ける。

 

天ころがしを

 

ちゃんと見るのは初めてだった。

 

普通はシダや苔が生えた山中にいて、

 

滅多に人前には姿を現さないのに、

 

こんな野原に出現するのは珍しかった。

 

マクの中の虫は少し歩を進めては止まり、

 

歩を進めては止まる。

 

途中何かにおびえたように後ずさったり、

 

地面に顔を埋め、

 

お尻を揺すったりしている。

 

その姿は泣いているようにも見えた。

 

僕はちょっとからかうつもりで、

 

桜の花びらをマクの上に落としてみた。

 

花びらはすべすべした

 

マクの表面を滑り落ちてゆく。

 

しかし、それを見た天ころがしが、

 

マクの中を右往左往しはじめた。

 

面白くなった僕は、

 

大量の花びらを手に取り、

 

マクの上にかけてみた。

 

と、おびえ過ぎた天ころがしは、

 

マクの中で丸くなり、

 

動かなくなってしまった。

 

「このマクを取ったらどうなるんだろう。」

 

と思った僕は、近くにあった小枝を、

 

そっとマクの表面に突き刺してみた。

 

なかなかマクは破れない。

 

が、爪の先で少し引き裂くようにすると

 

破れた。

 

マクはスー、と

 

空気が抜けるような音を立てて萎み、

 

地面にべちゃりと落ちた。

 

同時に、甘酸っぱい、

 

スモモのような匂いが、辺りに立ち込めた。

 

僕は観察しつづけた。

 

天ころがしは地面にうずくまったまま、

 

微動だにしない。

 

ひょっとして、死んでしまったのかな、

 

と、ドキドキしていると、

 

背中の色が緑っぽい茶色から、

 

金色っぽい色に変化してきた。

 

最後には完全な黄金色になり、

 

やがて、大きく羽を広げたかと思うと、

 

ぶーん、という音と共に

 

空中に舞い上がった。

 

天ころがしは、僕の周りをブンブンと、

 

重い躯体を引きずるように旋回したあと、

 

桜の花に近づいたり、

 

蝶と戯れたりしながら、

 

あちこちを飛び回っていた。

 

それはまるで、

 

初めての世界を楽しんでいるようだった。

 

やがて、遊びにも満喫すると、

 

てんころがしは、一層羽を震わせながら、

 

更に天空高く飛び立っていった。

 

〝ああ、天ころがしは、

 

もう天ころがしではくなったのだな〟

 

と思いながら、

 

僕は再び草原に寝転がった。