ジンジャー・タウン

星谷周作創作坊

ぷるぷるカクテル

f:id:shusaku1:20210310222950j:plain

 

初めて行くバーのカウンターで

友人を待っていると、

年配のバーテンダーがやってきて

「何かおつくりしましょうか」と言ってきた。

よく見ると、先日、

夕暮れのカクテルパーティーで、

僕に本当に生きている人とそうでない人を

見分けるカクテルを作ってくれた人だった。

「じゃあ、なにか

 気持ちがプルプルするようなカクテルを」

からかい半分で僕が言った。

そのバーテンダーは落ち着いた表情で

かしこまりましたと返事をすると、

シェーカーを手に取った。

前回同様、さまざまなリキュールを

計量カップで計り、

最後に茶色い瓶の中の液体を数滴、

シェーカーに垂らした。

「どうぞ。プルプルです」

バーテンが真っ赤な液体が入った

カクテルグラスを僕の前に置いた。

そっと口へ運ぶ。

酸味の効いたリキュールの中から、

ほんのり甘さが広がってくる。

二、三口啜ると舌がピリピリしてきた。

しばらくして近くのテーブルで

けんかが始まった。

一人がテーブルを叩き、

もう一人が胸ぐらをつかむ。

そのはずみにテーブルのジョッキが倒れ、

中のビールが僕のズボンを濡らした。

やがて二人は

店員に店の外へとつまみ出されてしまった。

「ご迷惑をおかけしたお詫びに

 もう一杯サービスさせていただきます」

バーテンがさっきと同じカクテルを

もう一杯僕の目の前に置いた。

友人がやってきた。

彼はやってくるなり僕を指差し

「お前のせいだ」と言った。

「いいがかりだよ」と僕は言い返したが、

彼は頑として聞かない。

最後には「絶交だ」と言って

出て行ってしまった。

やけ酒のつもりで

僕は三杯目のカクテルを注文した。

今度は頭が痛くなってきたので

トイレで顔を洗った。

トイレを出るとき、背の高い男にぶつかった。

すみませんと謝ると

「気をつけろ!」と怒鳴られてしまった。

もう帰ったほうがよさそうだ、と

バーテンに勘定を頼んだ。

ズボンのポケットから財布を

取り出そうとしたら、財布がなくなっていた。

バーテンダーに事情を話すと、

お勘定は明日でもいいという。

「わかっていますよ。

 あのカクテルを飲んだときは

 決まってこうなるんです」

バーテンダーが言った。

心がプルプルするカクテルを頼んだのに

全然プルプルじゃないじゃないか、

と思いながらも僕は

「ありがとう」と礼を言った。

「ねえ。もう帰っちゃうの?」

近くのカウンターにいた女性が

話しかけてきた。

「よければ一緒に話さない?

 財布失くしちゃったんでしょ。

 ご馳走するわよ」

僕が返事する前に

彼女はバーテンに向かって

カクテルを二杯注文した。

「さっきからあなたのこと見てたけど、

 すごいわね。

 もうここに存在してないって感じ」

彼女が言った。

「僕はここに存在していますよ。

 それに今夜はいろいろなことがあって

 気分も悪いし」

「でもあなた、実際、

 すでに身体が半分透けちゃってるわよ」

「えっ!」 

彼女に指摘され、僕は自分の両手を

空中にかざして見てみた。

指先が半分透けて見える。

「あなた、ひょっとして、

 いよいよなんじゃない?

 さっきだって、周囲で何が起きても

 反応してなかったじゃない」

カクテルが来た。とりあえず乾杯した。

「そう言えば、いろんなことを

 別の場所から見ているような、

 へんな感覚だったなあ」

「だから言ったじゃない。

 もういよいよなんだって」

「そ、そうか。いよいよなんだね」

僕はなんだかすごく愉快になってきて、

大声で笑いだした。

「そうよ。みて。あたしまでいよいよだわよ」

そう言って彼女も笑いはじめた。

「そうですね。もういいんですよね。

 ここにいなくて。あなたも…」

「そうよ。もういいのよ」

それからはもう楽しくて楽しくて、

僕たちはずっとその場でプルプルしていた。