ジンジャー・タウン

星谷周作創作坊

苔(こけ)の木谷まで

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バーでしこたまジンを飲んだ夜、

 

バーの前で客待ちをしていたタクシーに

 

飛び乗り、家路についた。

 

「楓(かえで)の森までお願いします」

 

僕が行き先を告げると、

 

運転手は面倒くさそうな表情で

 

車を発車させた。

 

しかし、途中まできたとき、

 

僕は自分の家ではなく、

 

誤って友人の家の住所を告げていたこと

 

に気づいた。

 

「運転手さん。すみません、

 

行き先を間違えてたみたいです。

楓の森ではなく苔(こけ)の木谷へ行って下さい」

 

自分の家の住所を間違えるなんて

 

ちょっと飲みすぎたな、と思いながら

 

僕は運転手に正しい行き先を告げた。

 

運転手は無言のままハンドルを切り、

 

Uターンをした。

 

明日の予定を確認しておこうと

 

カバンの中から手帳を取り出そうとしたら、

 

手帳がなかった。

 

どこを探しても見つからない。

 

さっきのバーに置き忘れてきたことに気づき

 

元の場所へ引き返すよう運転手に告げた。運転手は首を振りながら

 

ハーッと長いため息をつくと、

 

再び来た道を戻り始めた。

 

バーの前でタクシーを待たせ、

 

大急ぎで忘れ物を取りに

 

店の中へ入っていくと、

 

偶然友人のN氏に出くわし、

 

ちょっと世間話をした。

 

彼は最近〝りあんこ〟という

 

不思議な生き物を飼っていて、

 

それがとても面白い行動をするのだという。

 

話しているうちに僕は

 

この〝りあんこ〟に興味を覚え、

 

これから一緒にN氏の家へ行くことにした。

 

N氏と一緒に待たせていたタクシーに乗り、

 

運転手に友人の家の住所を告げた。

 

しかし、車が走りはじめたまもなく、

 

みゃんみゃんと鳴く動物を見た

 

と僕が言ったのをきっかけに、

 

そんなものはいない、

 

と言い張る友人と口論になり、

 

怒った友人が車を降りて行ってしまった。

 

再度「苔の木谷へ…」と言いかけたとき、

 

運転手はすでに蝋(ろう)人形になっていた。